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2011年3月29日 やっぱり僕の永遠のヒーロー

急遽、日本に帰る事になり、その準備で忙殺された日でした。

持って行く下着が無い事に気づき、朝の 4 時とかから洗濯したり、
一ヶ月くらい伸ばし放題だった髭を始末したり、冷蔵庫の食材を整理したり、
そんな事から始まって、帰ってくる頃には延滞になってしまうネット代の支払いに行き、
今日のチケットを手配しに旅行代理店に行き、
とりたてのビザを無駄にしないためにイミグレまで行きリエントリーパーミットを取得し、
ギリギリで手付けで振り込まれた金を、当面の費用のために両替に行き、
その間ずっと、今日のチャリティーマッチ開始時刻から逆算して行動していました。
バンコク中あっちゃこっちゃ動き回ってました。

精神的に厳しい状況で、そんな中で色々動かなきゃいけないと、
普段より遙かに体力的にも来ます。
ですが、そんな中でこそサッカーだ、と痛感しました。
これのおかげで今日一日乗り切る事が出来ました。

そしてメシも食べる時間もなかったので、食材整理を兼ねて、
適当にサンドイッチ作って、今日初の食事をしながらキックオフ。
大急ぎで帰って来て、実は部屋に着いたのが 10 分前でした。
もう、間に合わないギリギリのせめぎ合いで、そのストレスも厳しかったです。

が、やっぱりあの人は、そんな人達に勇気を与えてくれますね。
本当に神です。尊敬してます。愛してます。感謝してます。

そして試合が終わったらシャワーを浴びて、パッキング。
で、これ書いて、もうすぐ空港へ。

ここ数日の寒波が、ワンクッション置いてくれたな。
でも今日のバンコクですら耐えきれない寒さなので、
ジャンパー着ていきます。


2011年3月28日

例えばその日の朝の目覚めの時に、
まさかその日が大事な人の命日になるとは、
特殊な事情が無い限り、思うことはないと思う。

いつもの様に気だるく起き上がり、
大事な人の最後の日を、なんとも無駄に浪費していくんだろうと思う。
最後に出来うる事、流れ行く時間、その意味に気づく事もなく。

そしてその意味を思い知った時、痛感する。
あぁ、自分はなんと本質的に怠惰だったのかと。

愛する人にその気持ちを伝える事に、なんと怠惰だったのかと。
生きる喜びと厳しさを与えてくれた人に対して、
それに報いる事に対して、なんと怠惰だったのかと。

そんなような事が言われているのも聞いた事があって、
それでも自分の事ではないと最後の所で結局は受け流し、
そしてそれが現実になった時に言われているような事も聞いていて、
それでもやっぱり結局は受け流したりしていた。

そんな自分を本当に馬鹿だと思う。

本当にごめんなさい。


2011年3月27日 コパ・アメリカ参加が現実的に難しい件について

■ 南米選手権出場は困難 Jの日程再編で、原委員長

震災の影響で延期となったスケジュールを、
7 月のコパ・アメリカ参加予定の期間に振り替えるために、
日程調整に折り合いがつかないのが原因だそうで、
それは当然と言えば当然ですし、苦渋の決断でしょう。

しかしあまりにももったいない。

出来る事を全てやった上で、最終的に決断して欲しいと願ってやみません。
知恵を絞るだけ絞って、折り合いをつけるための努力をしきった上の決断なら、
もちろん尊重しますし、理解も出来ます。
なんせこの事態ですし。

海外組の参加を見合わせる発想もあった中でのプランでしたが、
この事態ですので、この際海外組はほぼ全員でも招集する前提で考えます。
まぁ、この段階で難しい問題ではあるんですが。

問題なのは J リーグ開催期間中となるので、代表に選手を貸し出せないという点です。
これ、お互いの譲歩で何とか出来ないかな、と。

チームへの配慮として、例えばプロ野球の FA 移籍の際のシステムを参考にして、
各チーム 1 名だけ、招集をブロック出来る枠を与える、と。
且つ、招集は 1 チームにつき上限 2 名まで、とか。
これならば、まぁ、怪我でもしたと思ってもらって、割り切ってもらえないかな、と。
勿論、ベストメンバーにはなりませんし、ただの頭数をそろえるための、
帳尻あわせにすぎないかもしれません。
遠藤とか確実にブロックされるでしょうし。
でもメンバーは海外組でほぼ土台は組めるし、
これ以上ない強化のチャンスを棒に振る事もないでしょう。
逆に言うと代表にとって、遠藤が怪我した場合のシミュレーションにもなりますし。

スペインやイタリア代表、インテルやバイエルン、
世界選抜などなど、続々チャリティーマッチのオファーは来ますが、
コパ・アメリカに比べれば、強化の意味では雲泥の差があります。
アウェイでタイトルのかかった公式試合ですので相手の目の色が違います。
これを逃すのは非常に惜しい。
どうにか参加にこぎつけられないかなぁ、と。

まぁ、難しいでしょうけどね。


2011年3月22日 慈善試合メンバー決定

「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」 (3/29) メンバー

ニュージーランドの来日断念により、国際 A マッチではなくなりました。
同じ被災国同士の試合は意義のあるものになるかと思いましたが残念です。

がしかし代替案としての J リーグ選抜、これは非常に興味深いメンバーになりました。
正直、強化という意味でもニュージーランドより(自主規制)

当初は期待の若手とのミックスが楽しみではありましたが、
残念ながらオリンピックの方の強化でウズベキスタン遠征中でして、
ベテラン中心のメンバーとなりました。
こうなりゃ、ドイツの時のメンバーで固めるのもすげぇ楽しいなと思ったんですが、
その他の面々もミックスした形です。

特筆すべきはカズでしょうね。絶対どこかで出場するでしょうから盛り上がる事必至です。

まぁ個人的には高原・玉田、加地、稲本、あたりを入れて欲しかったのと、
あとサプライズで中田ヒデとか。
そうなると相変わらずまとまりのないチームになるかもですが。

某消息筋の方が Ustream で有料配信(課金 = 募金)の方向でご尽力いただいてるそうで、
そうなると非常にありがたいです。
でも肝心の某テレビ局の腰が重いらしいですが。
観させてくれ~。


2011年3月17日 おかん疎開大作戦 2

危機感全くないおかんを説き伏せて、やっと姉貴と検討させる所まで到達し、
今日、返事がありました。

結果、どうやら来る方向で決まったみたいです。

がしかしそれからは土産の話ばかり。
何が欲しいかあれやこれや聞いてくるばかりで、
まるっきり観光旅行気分です。

これはある意味、疎開であり、あなたは難民とも言えるわけで。
その辺の自覚もこれまたゼロです。

そして、いつ来るのかと思ったら、
月末クラシックのコンサートに行く予定があるから来月、との事。





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2011年3月16日 おかん疎開大作戦

原発が青息吐息な現状、いい加減ヤバいかと思い、
おかんをタイに避難させる事も視野に入れねば、
という事で話を振ってみました。

まぁ姉貴と検討して、みたいな話だったので、
それならそれでちゃんと情報収集して、
きちんと対策するように言った後、
食材のストックへの危惧を伝えたら、
普段から溜め込んでる食材自慢が始まりました。
以下メール抜粋。


食料は缶詰や乾麺、パスタ等もあるので一人だとゆうに3ケ月は持つと思います。もっとかな?お米も玄米で30キロ弱有ります。暮れに伊藤さんから自動精米器をいただきましたので精米仕立ての御飯を食べてます。鯖の水煮缶が一箱以上、トマト缶、豆類。青森産直の姫竹の瓶詰8個茸南蛮が10個位後くずきり、等買い物しなくとも裕にくらせます。乾物類、ひじき、木耳、切り干し大根、若布、昆布、手づくりの白菜キムチ11株分、数え切れない位沢山有ります。 ジュースも青森産の林檎ジュース缶、梅ジュース、等。先日函館からスジコ、タラコも届きました。


その後、またメールが来て、


言い忘れましたが味噌も醤油も佐原の油茂の胡麻油も開封しないのが1、6リットル缶有りますし、オリーブオイルも1リットル、薩摩の黒酢、もろみす、みりん、手づくりの生姜の味噌漬け、ゆずみそ、調味料も万全です。結構皆におすそ分けして居るのですが・・・今年は色々な方から手づくり味噌を沢山いただきました。だしいりの市販の味噌も4キロ程有ります。一人暮しとは思いませんね。 今度タイに行く時は是非油茂の胡麻油を持つて行きますね。とっても美味しいんですよ。


と来て呆れてたら、


本当ですね。店開きしようかしら?


なんて調子こいてきたのでそこでやり取り終了。
全く危機感は無い模様。

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2011年3月13日 禁酒終了

今日で遂に一週間の禁酒達成です。
薬も終了し、元気な体に戻ったと思います。

禁酒中は気を紛らわすために、気分だけでもという事で、エア晩酌。
素ソーダにつまみで、雰囲気だけ味わう日々。
そんな日々にお世話になったのが、ソーダーチャン アップル・ミント味。

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まぁ、別に美味くもなんともなく、後味のケミ臭が気になるほど。
ライム(だったか?)味の方が美味い気がしますが。

すみません。飲酒解禁します。申し訳ないです。


2011年3月12日 いや~んバ菅~

壮絶な一日でした。

原発やばい → ベント成功で歓喜・映画化決定へ → 一号機爆発→チェルノブイリを越える悲劇・太平洋岸東北地方向こう数十年産業死亡・300km 飛散で東京も余裕で被爆・日本リアルに相当オワタ → 爆発は鉄筋コンクリートの外壁建物のみで格納容器と炉心に損傷無し → 最悪の事態は逃れる・予断許さずも助かる

絶望感に押しつぶされ、愛する人々が被爆する事を現実として向き合わざるを得ず、
頭がグルグルグルグル。

TWENTY FOUR なら最終的に多少の犠牲者で済むのに、
これは日本の半分が被害を被るのか、と。

ホント、助かった。政府の会見をこんなに齧り付くように見たのは初めてでした。

そんなテンションの時に、結局一番大事な事を枝野に丸投げして、
ただひたすら意味のない時間の浪費を続けるアフォの前置きの長さ。
殺意すら覚えます。
しかも津波をつまみとか噛んで逆撫でしてくるし更に。
在日献金発覚で詰んでた彼にとって、保身上ある意味、神風と言ってもよかったこの有事。
働き次第では目を瞑ってもいいくらいの大惨事でしたが、やっぱり、

ダメダコイツ、ハヤクナントカシナイト。
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2011年3月9日 ランボー 怒りのビザ申請

夜行バス、チャンツアーのモーチット 20:15 発に乗ったら、
朝の 4 時半過ぎにノーンカーイに着きました。8 時間ちょいくらいですね。
21 時発のやつでも早いくらいです。
ノーンカーイからヴィエンチャンへの国際バス始発が 7 時半発で、
チケットは 6 時過ぎくらいから販売になりますので、
モーチット 21:45 発の豪華版だと、到着する頃にチケット販売開始か、
ちょっと間に合わないくらいでしょうか。
でも混んでる曜日じゃなければ、それで丁度いいんじゃないかなと思ったりします。
次の為の備忘録として書いときます。

で、国際バスに乗ってヴィエンチャンに着いて、
バスターミナルから徒歩でタイ大使館領事部へ向かい、
途中コピー屋があったので必要ページのコピーをとり、
到着したのが 9 時半前くらいだったと思います。

水曜なのでガラすきで快適申請かと思いきゃ、激混み。
なんでかと思いながらフラフラ掲示板など見てたら、
どうやら昨日がラオスの女性の日みたいな祝日だったらしくて、
その分がまるごと繰り越し、キャリーオーバーで直撃された事がわかりました。
有料化に加え、この仕打ち。なんという GOL 。

がしかし整理券受け取った段階で、単純に計算すると、242 人待ち。
まぁ、全部が全部並んでるわけではないだろうから、ってのを加味しても、
中々ヒリヒリする数字です。
2 時間半あるから流石に何とかなるだろうと思ってたんですが、
結果から言うと何とかなったわけですが、申請完了したの、終了 5 分前。
なんでこう、いちいちヒリヒリするんでしょうか。
なのに審査がかなり厳しくなってて、書類の記入漏れなどガンガン突っ込まれてます。
私の前、5 人が書き直し、もしくは書き足しさせらてました。
そんなのを横目に万全だと思ってた私ですら、ラオスの滞在先はどこだと聞かれ、
そんなのたまたま今回ネットで予約してたからバウチャー出して証明したけど、
いつもの感じで来てたら、定宿の名前言うくらいが精一杯で、住所なんか無理だし。
なんか、粗探ししてるだけじゃないかなぁと思ってしまったり。
私がパスポート新しくして万全・最強モードで来たのがそんなに悔しいのか、と。

そしてヴィエンチャン限定で無料期間終了との情報が巷では騒がれており、
申請が終わったら、隣の建物に行くように指示されます。
案内の看板も、しっかりと支払いはこちら、と指し示しています。
私も諦めて現金用意してきました。
窓口の前で財布を手にして、申請受付から返された整理券を提出すると、
なかでその整理券にスタンプをポン、ポン、と押されます。
そしてそれをスッと返してきました。

うん、で、えっと、うん?

あれ、なんも要求されなかった。えーっと、いいのかな、これ。
うーん、受取時にレシートが無いから駄目~、とかやだな。
でも、なんか、なんとなく、いいんじゃね?これ。

という感じでフワフワしながら建物から出ると、後ろから西洋人が、
「こ、これだけ?後は明日受け取るだけ?」と話しかけてきました。
なので私も、支払いしたのかどうか聞いてみたら、いや、してない、と。
整理券にはボールペンで TR というメモ書きだけがあったので、
そこにシングルかダブルかの違いは明記されておらず、
となると値段の違いが分からないって事は、支払いさせる意図が無いからであり、
つまり有料化はガセだろ、という話をしました。
その西洋人と、まぁいいべ、という感じで領事部を後にしました。

パスポートを更新する前に、無料期間を確認するためにググッてて、
それが終了するのが 3 月 5 日という情報を目にして焦ったんですが、
よく見ると 2010 年と書いてあり、一年前のニュースだったことに気づき、
今年のものを改めて探し、3 月いっぱいと確認をしてからパスポートを更新しました。
その事があったので、ひょっとして情報リーク元は、それをそのまま勘違いしてんじゃね?
と希望的観測で解釈しようとしてたんですが、でもヴィエンチャン限定って言ってるしな、
って事で諦めて、星回りを呪うだけだ、と割り切ってたんです。
でも全然そうじゃありませんでした。無料でした。ヴィエンチャンも。

で、なんでこんな事になったんだろうと考えてみても、
やっぱり情報元の某 A● ツアーが、ビザ取得ツアーの客を引っ張ってくる為の、
風説の流布だったんじゃねぇかって勘ぐってしまいます。
まぁラオスツアー自体はそこもやってるので、引っ張るというほどのものではなくとも、
難易度が上がってトラブルが起こる可能性があるヴィエンチャンから、
カンボジアへシフトさせようという意図があるのかもしれません。
タイミング的にも昨日がラオスの祝日ですし、
先週いっぱいで無料期間ヴィエンチャン限定で終了ってのは、
絶好のタイミングといえるかと思いますし。
色々な点と点が線になってしまうんですが、真相はどうなんでしょうか。
こんなすぐバレる嘘、つきますかね?タイ人じゃあるまいし。
ってかタイ人からインスパイア系?

有料かと思って行ってみたら無料だった、って話で、結果いい話ではあるんですが、
私がバタバタ情報に振り回される様、皆様ご堪能いただけましたでしょうか。


2011年3月8日 在ヴィエンチャン・タイ領事部、GOL 来襲に対し綺麗にカウンター

今月いっぱいまで延長されていたツーリストビザ無料期間。
それに間に合うようにパスポートを更新して、
浮いた 2000 バーツをそれに回して、と算段し、
さあ、いよいよラオスに向けて出発だ、と思ってた昨日、
在ヴィエンチャン、タイ大使館領事部のみが、
突如無料期間を先週で締め切り、
今週の月曜から通常通りダブルは 2000 バーツとなる、
との情報が入りました。 orz
昨日から有料です。明日申請の私、えぇ、頭真っ白。

今日の夜行バスでヴィエンチャンに向かうので、
チャンピオンズリーグのアーセナル vs バルサも観られないし。 orz

しかしまぁ、狙い澄ましたかの様なタイミング、というかちょっと強引だろ。
力技でネタを押しつけてきてんだろ完全にコレ。

どうみても星回りです、本当にありがとうございました。


2011年3月6日 今日から禁酒一週間宣言

千葉大勝イェイイェイ。次はこれまた大勝した湘南と。
早くも今シーズンの行方が占える対決です。

さて、ドクターストップが出たので一週間禁酒します。
その間、薬も服用しつつ、元気な体を取り戻します。
心配ご無用。なら書くなって突っ込みありがとうございます。

つらいのは、8 日の夜からラオスに向かい、
9 日にビザ申請するんですが、ヴィエンチャンでの時間。
なーんもすることね-。ビアラオ飲めないって何なの?バカなの?死ぬの?
宿は予約済みで wifi 有りだそうなので、最悪仕事はできますが、
酒を一週間も空けるなんて何年ぶりでしょう。5 年以上か。
ほぼ毎日飲んでるしなぁ。飲まない日なんて数えるくらいだし。
睡眠薬も貰っときゃよかったかな。

タバコに続き意志の強さを見せつける時が来たようだ。
でもタバコは 3 年半くらい経つけど、酒一週間の方が遙かにつらい。


2011年3月5日 開幕ってのに再規制

昨日まで観られていた Bet365 のストリーミングですが、
またしても規制が入ったみたいで、シャットダウン。繋がりません。
J リーグ開幕の日に、何してくれてんだ、と。

ネットの調子もイマイチで、Justin とかでも観られません。
神に祈る想いで Football Plus にチャンネルを合わせたら、やってました。
ありがたい。これで今年もテレビで少しは J リーグが観られそうです。

カードは名古屋 vs 横浜 FM でした。
先日の ACL で Bet365 の英語のアナウンサーが楢崎の事を、
「セルジオ・ナラザキ」と呼んでて吹いたんですが、
まぁ、Seigo と書かれてあるのを Sergio と読み間違えたんだな、先入観で。
と思ってたら今日、タイ人のアナウンサーまで、
「セゥイオ・ナラサキー」と完全にセルジオ呼ばわり。
タイの実況、手元の資料は英語なんでしょうかね。

あーしかしまた規制かよ、面倒だな。すげぇ便利なのに。
賭けてなくて観てるだけなのに。
はやく解除されないかなマジで。


2011年3月1日 パスポート受領

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トーモーの地下フードコートのバミー・トムヤム。何気に結構ウマカタ。
ホントは普通のバミーにワンタン入れようと思ったんですが、
私の前の人が注文し、それを以て見事に終了だったもんで。
えぇ、いつもの、例のアレですね。


さて、大使館に行って、パスポートを受け取ってきました。
新しい番号の頭ふたつのアルファベットのひとつが Z だったので、
これから入出国カードなどに番号書く時、2 に見えないように、
真ん中に斜線をいちいち書かなきゃいけないなと思い、
面倒な事になった感じです。外れだ。
発給日は申請日の翌日でした。これも覚えやすい日がよかったのに。
あと一日遅くして、226 だったらよかったのに。
これから書くたびに一度 226 を思い出してから、1 を引く作業を脳内でやらなきゃいけず、
これまた面倒な事になった感じです。外れだ。

で、新しいパスポートを受け取って、すかさず在留届の変更を行って、
部屋を移ったのもクリアしときました。

そのまま地下鉄でチャトチャックまで行って、そこから 52 番バスに乗り、
スーンラーチャカーンまで。
パクソイの風物詩、オレンジ色の憎い奴、ゴワジャの権化達がたむろってる奥に、
無料シャトルバスが発車しそうだったので駆け込み、トーモー到着。
考えてみれば公共交通機関使ってここ来たの初めてでした。
今までは全回、車を運転して自分で来てたので。

で、古いパスポートから新しいパスポートへ、最後の入国スタンプを移す作業です。
受付行って説明して申請書をもらい、記入して中に入ってそこの受付に出すと、
これは上の階でやる、と言われました。
だだっぴろいので、見つけるのが大変だなと思ったんですが、
適当に入った最初の所で正解でした。
で、丸々 1 ページ使って、移したことを明記。スタンプも一緒に押印されました。

地下一階にカシコン銀行があったので、ついでに通帳も更新しました。
新旧両方のパスポートもあるし、サインを簡略化したものに変えたいので、
絶好のタイミングっちゃタイミングです。
が、前回は突っ込まれて変更できなかったのに、今回は何も言われませんでした。
せっかく用意されてるんだから是非聞いてよ、って時は絶対聞いて来ないですね、得てして。
しかも支店により、どころか、対応する人により、可否が変わるってのも、
しっかりこの国の定説通りです。ありがとうございました。

帰りは52 番でモーチット → 38 番でペッブリー → 93 番無料バスで帰宅。
お、帰りは 16 バーツで帰って来たじゃん。やっぱバスだな。


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