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2010年10月18日 秒速 5 センチメートル

よく、耳すまと並んで鬱アニメと称される秒速 5 センチメートルですが、
カンボジア帰りのバスの中で観て、確かに死にたくなりました。
今日改めて観てみたんですが、やっぱ殺傷能力高いです。
で、なんでかって事でネット上では結構ポイントがズレてる解釈があったので、
私なりに理由を述べてみようか、と。モロに主観で。

耳すまと秒速、両方まぁ青春時代の話ですよね。
でこれら、要は自分の青春時代が深く関わってくるわけです、鬱になるにあたって。

童貞非リア充系がこれらを観て鬱になるのは非常に当たり前の話で、
耳すまはハッピーエンドに対しての自分の現実なんだこれ、と。
秒速はこんな切ない思い出も無い自分の現実なんだこれ、と。
これは至極シンプルに出てくる発想だと思います。

で私といえばどちらかと言えばそこそこ楽しい青春時代を過ごした側でして、
その私が主観で鬱になる、と言ってるわけでして、じゃ、なんで?って話です。

耳すまに関しては、もう戻れない、可能性に満ちた無敵状態のあの頃、ってとこ。
秒速に関しては、取り返しのつかない過去の過ちに対してってとこ。

耳すまはまぁ分かり易いので省きますが、秒速に関して言及すると、
過去が過去となってしまった現在、その過去の間に起きた失敗に対して、
現在である今、それに対しての解答は、結構自分で分かってるもんだと思います。
あの時ああすればもっと今より幸せだったのか、とブルーハーツは疑問を呈してますが、
ブルーハーツより大人になってしまった現在、断言できるわけです。
あの時ああすればもっと今より幸せだったんです、と。

その葛藤の領域に、土足でズカズカ踏み込まれて、否応無く現実を見せ付けられて、
それも全部こちとら分かり切ってる話で、で何か建設的なものがあるのかと言ったら全然無くて、
だから鬱になるわけです。
まぁ、色々乗り越えて生きてきてるわけですが、
生々しくリプレイされると、乗り越えた過去とは言え、やっぱ堪えるわけです。
で色々思い出して、思い返して、正解の流れをトレースして、
間違いの無い模範解答の人生を想像して、その刹那ニタニタして、
そしてふいに我に返り、鬱になるわけです。
数あるそれぞれのバージョンで。

個人的にはリア充も非リア充も両方鬱にさせる、とても優れた作品だと思います。
これ観て鬱にならない人は、余程失敗をしないで来れた人か、
余程自己保身能力が研ぎ澄まされてて、現実を直視しないように、直面しないように、
傷つかないように折り合いをつける能力が高い人かのどちらかだと思います。
勝ち負けで物事を判断しがちな人に多いタイプかと思います。
というか勝ち負けで判断してしまうが故、
負けを受け入れられないからドローに持ち込む、みたいな。
そういう人は、「うーん、観たけど、別に。」みたいな感じだと思います。

まぁ、乗り越えた過去にまたスタックして、そこからまた先に進むってのも人生か、と。
私はそれ、やぶさかでないタイプですので、この作品、琴線に触れました。


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